ダイアナとキャロライン-民衆に慕われた皇太子妃

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民衆から慕われた皇太子妃と言えば、ダイアナを思い出す人が多いでしょう。王宮での慣れない生活からくる心労に夫君チャールズの不倫が追い打ちをかけ、ついに離婚に追い込まれた皇太子妃。その悲劇的な死は世界中に衝撃を与えました。葬列の沿道は多くの人々が埋め尽くし皇太子妃を見送りましたが、その中には黒人などのイギリスにおけるマイノリティやホームレス、シングルマザーなどの社会的弱者も多数集まり、弱者に優しい眼差しを注いだダイアナの死を悼んだと言われています。

ところで、19世紀のはじめのイギリスにも、同じように身内から虐げられ、民衆がその死を嘆き悲しんだ皇太子妃がいました。ドイツの公国からイギリス王室に嫁いできたキャロラインです。夫はジョージ、浪費と放蕩で知られる皇太子です。従兄妹の間柄だった二人ですが、結婚当初からそりが合わなかったらしく、関係は冷え切ります。離婚するために裁判に持ち込んだ皇太子は、キャロラインが侍従と密通したとのあらぬ嫌疑までかけます。この裁判は新聞を通じて大きな話題になり、キャロラインに国民の同情が集まりました。世論の後押しもあり、裁判は皇太子妃の勝利に終わります。しかし、皇太子が国王(ジョージ4世)として即位してまもなく、キャロラインは謎の死を遂げます。毒殺の疑いすら残っています。

キャロラインの死は下層階級を含む多くの人々が嘆き悲しみました。葬列を見送る民衆が警察と衝突し、死傷者が出ました。時あたかも、イギリス中で労働運動や民衆運動が活発に繰り広げられていた頃です。キャロラインの裁判と葬列は、王室スキャンダルを超えて、当時の労働運動や民衆運動の一コマの様相を帯びるに至ったのです。”British Politics and Society”には、キャロライン事件によって触発された民衆運動をはじめとする、19世紀の労働運動、民衆運動に関する当事者の資料を多数収録しています。

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